日航ジャンボ機事故:空白の16時間~"墜落の夜"30年目の真実/NHKスペシャル [昭和(戦後)]
日航ジャンボ機事故:空白の16時間~"墜落の夜"30年目の真実
■ NHK公式ページ
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0801/
■ 放映日
2015年8月1日(土)
午後9時00分~9時49分
■ 感想
1985年8月12日、日航機123便が群馬県に墜落した事件で、関東圏に墜落したのにもかからず一晩中どこに墜落したのか位置が不明だった。番組はなぜ不明だったのかを検証したもの。
率直にいって、なんという国なんだろうと思った。なぜなら、内容を見ればわかるが、どこにもとりたてて新しい事実はない。つまり、こんなことは1985年にもできたことなのだ。
だから、むしろなぜ30年間それができなかったかの方がずっと大きな問題だと思う。
冒頭の絵は、第一通報者の方が見えたものを描いたというもの。この方は長野県側の川上村の方で、畑仕事をして空を見上げると飛行機が見え、すぐその後にいつも見ている空と山の向こう側が光、ぶわっと絵具を散らしたように煙があがった、という一部始終をご覧になっていた。
そして、そこから10分もたたないうちに交番に通報している。
ここから捜索をしたのなら、見える範囲は限られているのだから事故が起こったのは山の向こうの群馬側であることはまったく疑問の余地もなかっただろう。
しかし事実は、長野県の北相木村という西に大きくずれたあたりが一晩中語られていて、一晩中位置が特定できなかった。
考えるだにいろいろな意味で恐ろしい事件だ。
■ 感想2
思わずカッとしてしまったが、それは私自身あの日の夜、ずっとテレビをつけて成り行きを見ていたことを記憶しているからだと思う。その中で、どうして場所がわからないのかが非常に不思議だった。少女時代のことだが、非常にはっきりと、なぜ場所がわからないのと何度も思った。
おそらくそう思った一つの理由は、わりと早い時間に自衛隊機が百里基地から出たというニュースを聞いたからだろうと思う。茨城県に親戚がいたので百里基地というのが霞ヶ浦の近くにあるというのは既に知識の中にあり、あそこから長野、群馬ということは東京を通るのかななど頭の中で想像した記憶もある。なんだかわからないがこういう飛行機が出ていくということは、なんだかきっと大変なことなんだろうと思ってかなりドキドキしていた。
そのうち、場所がわからないという話になり、え、でもきっと墜落場所は燃えているのに、自衛隊の飛行機が出て行ってもわからないものなのか・・・など思ったが、一晩あけて翌日は生きてらした方がいたというニュースとなり、それからは別の方向に気を取られてすっかり忘れていた。
そして大人になってからいろんな陰謀論があるのを知った。しかし、私としては、位置情報がわからないというより、だいたいの位置はわかっていたが山の中に入る具体的な登山ルートが見つからないから警察、自衛隊の人たちがなかなか近づけなかったという話ではないのか、などと考えてきた。
しかし、どうもそういうことではないようなのだ。
多分、NHKが知っているもの、持っているものを全部出すだけでいろんなことがわかると思う。まるで他人事のNHKに今私は無性に腹をたてている。
犠牲者520人、生存者4人。単独の航空機事故としては史上最悪となった日航ジャンボ機の墜落事故から8月で30年。事故原因が様々な角度から検証されてきた中で、ほとんど顧みられてこなかったのが群馬県御巣鷹山の墜落現場を発見するまで関係機関の動きである。 墜落から生存者確認までに要した時間は、国内の事故としては異例の長さとも言える「16時間」。さらに救えた命は本当になかったのか。各機関の内部資料や当事者たちの初めての証言から、様々な事実が浮かびあがってきた。 番組では、これまで明らかにされてこなかった事実の発掘を通して、巨大事故が日本社会に今なお突きつけているものを凝視していく。
■ NHK公式ページ
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0801/
■ 放映日
2015年8月1日(土)
午後9時00分~9時49分
■ 感想
1985年8月12日、日航機123便が群馬県に墜落した事件で、関東圏に墜落したのにもかからず一晩中どこに墜落したのか位置が不明だった。番組はなぜ不明だったのかを検証したもの。
率直にいって、なんという国なんだろうと思った。なぜなら、内容を見ればわかるが、どこにもとりたてて新しい事実はない。つまり、こんなことは1985年にもできたことなのだ。
だから、むしろなぜ30年間それができなかったかの方がずっと大きな問題だと思う。
冒頭の絵は、第一通報者の方が見えたものを描いたというもの。この方は長野県側の川上村の方で、畑仕事をして空を見上げると飛行機が見え、すぐその後にいつも見ている空と山の向こう側が光、ぶわっと絵具を散らしたように煙があがった、という一部始終をご覧になっていた。
そして、そこから10分もたたないうちに交番に通報している。
ここから捜索をしたのなら、見える範囲は限られているのだから事故が起こったのは山の向こうの群馬側であることはまったく疑問の余地もなかっただろう。
しかし事実は、長野県の北相木村という西に大きくずれたあたりが一晩中語られていて、一晩中位置が特定できなかった。
考えるだにいろいろな意味で恐ろしい事件だ。
■ 感想2
思わずカッとしてしまったが、それは私自身あの日の夜、ずっとテレビをつけて成り行きを見ていたことを記憶しているからだと思う。その中で、どうして場所がわからないのかが非常に不思議だった。少女時代のことだが、非常にはっきりと、なぜ場所がわからないのと何度も思った。
おそらくそう思った一つの理由は、わりと早い時間に自衛隊機が百里基地から出たというニュースを聞いたからだろうと思う。茨城県に親戚がいたので百里基地というのが霞ヶ浦の近くにあるというのは既に知識の中にあり、あそこから長野、群馬ということは東京を通るのかななど頭の中で想像した記憶もある。なんだかわからないがこういう飛行機が出ていくということは、なんだかきっと大変なことなんだろうと思ってかなりドキドキしていた。
そのうち、場所がわからないという話になり、え、でもきっと墜落場所は燃えているのに、自衛隊の飛行機が出て行ってもわからないものなのか・・・など思ったが、一晩あけて翌日は生きてらした方がいたというニュースとなり、それからは別の方向に気を取られてすっかり忘れていた。
そして大人になってからいろんな陰謀論があるのを知った。しかし、私としては、位置情報がわからないというより、だいたいの位置はわかっていたが山の中に入る具体的な登山ルートが見つからないから警察、自衛隊の人たちがなかなか近づけなかったという話ではないのか、などと考えてきた。
しかし、どうもそういうことではないようなのだ。
多分、NHKが知っているもの、持っているものを全部出すだけでいろんなことがわかると思う。まるで他人事のNHKに今私は無性に腹をたてている。
2015-08-14 22:02
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