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戦後70年 ニッポンの肖像 政治の模索/NHKスペシャル [昭和(戦後)]

戦後70年 ニッポンの肖像
-政治の模索-
第1回保守・二大潮流の系譜

焦土と化し、国民生活が困窮する中でスタートした戦後政治。1955年に結党された自民党は、“豊かさ”の実現を優先するのか、それともGHQ主導で進められた体制から脱し、国家としての“自立”の実現を優先するのか、吉田茂・岸信介という二人の総理大臣に代表される二つの路線がせめぎ合いながら、政権を担い続け、戦後政治を形作っていった。

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0718/

■ 放映日
2015年7月18日(土)
午後9時00分~9時49分

■ 感想

面白かった。「ニッポンの肖像」シリーズは面白い。

で、今回は、戦後すぐの政治を、吉田路線を、豊かさを求めてというフレーズで、岸路線を自主・独立というフレーズで描くことで対比して描いていた。それはそれで間違ってないのだが、こうして流れで見せられると、実はその自主・独立派は(今ではない)自民党政治の中ではむしろ負けたのだなと改めて思った。

で、その分岐点が例の60年安保。

一般的には跳ね上がった学生たちが抵抗していたような印象が支配的で、田原総一郎さんが、あの学生たちは安保がどう変わるかさえわかってなかったと発言していたこの手の発言をもって、そう学生はアホだった、と結論される。

しかし、よくよく考えると、次の50年岸路線に戻ることはなかったのだから、岸路線は負けたといえる。しかし学生たちが勝ったようにも思えない。

このよじれは何か。もう一人のゲストの御厨氏が一般大衆は岸の路線は戦前への回帰だと思った(意訳)とおっしゃっていたけど、これこそが大事なんだろう。

つまり、まだ戦後も戦後、焼け野原から15年しか経っていない状況にあって、多くの人は岸という人が戦前の満州国設立に大きくかかわっていたことを知っている。この人が、自主だの独立だのといってアメリカと一緒になって何かをしようとしている、この状況そのものが不安を喚起させ、結果的にそれを否定した、ってことなんじゃないのかな、と。

つまり、60年安保とは、戦前への回帰を国民が否定した出来事だったと考えるべきなんだろう。



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