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日光東照宮と板垣退助 [幕末]

日本史関係のブログで指折りの有名ブログである「しばやんの日々」さんを久しぶりに訪問したら、日光がらみの記事を書かれていた(だいぶ前だけど)。

そこで、私にとって新発見!

戊辰戦争で焼き討ちされる危機にあった日光東照宮~~日光東照宮の危機1
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-350.html

戊辰戦争の時、薩長軍というか新政府軍というかが譜代大名だらけの北関東を抑えて会津に向かう道すがら、徳川家康をまつるいわば徳川将軍家の奥ノ院ともいうべき東照宮が戦場になりそうだったが、板垣退助がそれはいかんと割って入って、おかげで日光は事なきを得たのです、と言われてきたのだが、実際には、板垣がとりなしたという成り行きではないらしい。

一言でいえば、攻める政府軍側は実際戦争しようと思って東照宮に入ったのだが、東照宮に籠る側は既にその動きを察知してそこにはいなかった、ということらしい。

へ~!でしたねぇ、私にとっては。私は日光は好きなので何度も行ったことがありますが、そのたびに同行者に必ずこの話をしていたのにどうしようと思ってみたり・・・。

私だけじゃなくて、確かこの番組、「その時歴史が動いた」 板垣死すとも、自由は死せず  でもそんなことを言っていたような気がする。そのうち(今日じゃない)DVDを見直してみたい。




いやしかし、まぁとにかく、東照宮を戦場にするようなある種の「不行跡」を避けたのは結構なことだったと改めて思う。そんな罰当たりなことはできなかったというべきか。


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