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宮台真司 「天皇と政治」 [昭和(戦後)]

ドラマものの話ではないけど、これって日本の歴史、なかんずく近代日本を語る上で非常に非常に重要な話だと思った。

しばらく前、偶然youtubeで見つけてクリップしておいたもの。

宮台真司さんが、山本太郎議員が園遊会で陛下にお手紙を渡した事件に際して、天皇と近代日本について語ったもの。

宮台真司 「天皇と政治」 2013.11.01
https://www.youtube.com/watch?v=Tt1XWI4am6c

宮台真司 「天皇制その2」 2013.11.15
https://www.youtube.com/watch?v=VKh8CNc5uNg

重要なポイントは、
近代における天皇陛下または皇室と日本人の関係は自然なものというより、そもそも政治的、統治機構の構成をどうするかという発想ありきでできたもの。

日本は西欧諸国の立憲主義と同様に立憲主義の国ではない。なぜなら天皇陛下は(日本人にとって)俗人ではないから。つまり、社会学的、歴史学的等々の言い方でいう聖性が残った御存在だから。

その上に第二次世界大戦時の敗戦が来て、アメリカはむしろ天皇を残そうと思っていた節がある。なぜなら、上のような経緯で聖性を獲得した陛下というご存在を使って日本人をハンドルした方が楽だという結論が文化人類学者を中心にあったから。つまり、雑駁にいえば、陛下がこれからは民主主義で行きますといえば、日本人はそうなる、という判断。

といったことが15分ぐらいの間に非常にコンパクトにまとめられている。


この手の話は学問的なフィールドに入る人とかそういうのが好きな人にとっては特に珍しくない。が、しかし、思うに、考えてみれば、社会全体しては実際半分タブーみたいな感じで推移してきたような気がする。

で、それは社会全体としてある種の暗黙の了解ができていた時代にはそういう態度もよかったんだろうが、世の中ってインターネットの伸長と共に、一方で非常に綿密な検証や考証、考察が可能になったが、他方では、非常にワヤな見解が何の注釈もなくまかり通る確率も飛躍的に向上した。ということは、多分、なにごとによらず暗黙の了解とか含みおきといった態度であることは、好ましくも、大人な態度でもなく、むしろ無責任な態度となるのかもしれないな、など思った。




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